2018年2月12日月曜日

2018/2/11日~12月 雲取奥多摩小屋

0646 新宿 ホリデー快速
0821 奥多摩 1080円
0836 奥多摩駅 丹波行
0914 所畑 690円

CT4:20
奥多摩小屋 4000円

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雲取山の山頂から南東へ石尾根を少し下ったところにある奥多摩小屋が取り壊され、再建されないそうだ

ニュースはこちら
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018020902000268.html

新聞社のサイトは消えるので、個人の方のブログも
http://www.haradesugi.com/entry/okutamagoya


立地がとても良く、潜在的なニーズはあるはずなんだ
現にテント泊の利用者は増えている
そしてそのテント泊利用者を、七ツ石小屋と雲取山荘の狭いテント場では捌き切らない
だが奥多摩町(人口5000人台の小さな町だ)の予算では数億とも言われる再建費用を捻出出来ないし、維持も難しい
ボロいから宿泊者がいないのか、宿泊者がいないから再建費用を捻出出来ないのか、の悪循環に入ってしまっているが、町としてはもう支え切れないと言うのは動かし難いようで

奥多摩小屋は老朽化なんて言葉では生易しい位ボロい小屋なうえ、他にも色々と難はあるのだが、個人的には気に入っている
無くなる前に最後の宿泊に行こう

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 朝、道具の準備
2000m級とはいえ2月に登るのだ、それなりの準備をする
また奥多摩小屋は素泊まりのみの自炊小屋でもあるので

右から
着替え一式(赤い袋)、衛生用品(青い袋)、照明機器と細引きとナイフ(黄色い袋)、クッカーとガス缶とストーブ、四本爪軽アイゼン、防寒グローブ、10本爪アイゼン、スパッツ、ツェルト、折りたたみ座布団、エントラントのカッパ(ウィンドシェル兼ねる)、ストック、ザック
これとは別に水食料が加わる。一泊の食料+非常食で40Lザックがそれなりにいっぱいだ

今回、数年前に買ったきりで未使用の10本爪を試してみたい



 ホリデー快速到着後の奥多摩駅前はハイカーで一杯
御嶽ならしらず、奥多摩まで来る人となれば雪程度で足が遠のいたりはしない
日原行きは増便が出た
私の乗る丹波行きも増便が出るかと思いきや、1台だけだった
それなりに満員

かなり低い位置で山がけぶっている
今日は気温が高い為、融けた雪が蒸発して靄になっているのだろう



 多くの人は雲取の登山口である鴨沢で降りるが、私は3つ先の所畑で降りた
地図上ではこちら方登ったほうが、小袖乗越まで10分早い
トイレも自販機もないが、バスが丹波行きならば候補として考えても良いかと思う



 ジグザグの車道をひたすら登る



 靄のなかを行く




 小袖乗越の手前でもう靄を抜け、雲海の如き光景
「天空の城・竹田城」とかってこういう状態になりやすいう場所なのだろうな



 見慣れた小袖乗越に合流



 登山口に妙な看板が
昨年は雲取山の標高が2017mにちなんで、丹波山村が色々と整備したらしい

ここで準備
スパッツをつけ、ひとまず様子見で4本爪を装着
のんびり準備をしていると、鴨沢バス停から登ってきたと思しき集団がポツポツやってくる
なるほど、確かに所畑からの方が早いようだ



 陽の当たる所は全く雪が無い



 例の廃屋の手前
雪のある場所と無い場所の境

もちろん雪のない所でアイゼンの爪は邪魔だが
場所によっては固く凍っている箇所もあるので、何も無いのもツライ



 堂所手前の水場は細いながらもチョロチョロと出ていた



 堂所で小休止



 10本爪を出す
メーカー名不明の海外製の安い奴だが
道に悪い所のない鴨沢コースならばテストにいいだろう

靴の中央に爪のある軽アイゼンと違って、つま先とかかとに爪がある
その為歩いた感じでは脚のサイズ感が二回りも大きくなったかのようだ
実際そう意識して歩かなければ爪を引っ掛けるだろう

カチコチに凍結した場所ではこの上なく頼もしい安定感がある
また軽アイゼン特有のバンドの締めつけ感も無い
だが……
当たり前だが靴をフルに覆うサイズの鉄の上に靴を乗せるので、靴がしなるという軽登山靴の良さは完全にスポイルされる
6本爪では靴のつま先を曲げることができたが、10本爪では全くそれが出来ない
登りでこれは思った以上につらく、負担になる



 そして何よりこの雪の少なさ!
凍結箇所なんてほとんどない
石混じりの土の上を10本爪で歩く不快感ときたら
雪のある所でも圧雪がこの温かい陽気でグズグズの腐れ雪に変わり、おいた足がズズッと取られる
あっと言う間に体力を吸い取られ息も絶え絶えになってしまう
もうギブアップ!アイゼンを外す



 七ツ石小屋の前でぐったりして休む
疲れた
だが10本爪の特徴というか性格はだいたい分かった
やはり体験してみないと身に沁みての理解はできないものだな

そして
おそらく私には必要の無い道具であることも理解した
これは厳冬期に森林限界よりも上を歩くために必要な道具だ
冷たい風に吹き固められ、カチカチに固まった、一面雪に覆われた斜面
そういう場所でこそ必要なものだ
それ以下の場所でトレースのある一般ルートを歩くのに、6本爪で力不足ということは無いだろう
石混じりの地面ではむしろ邪魔でしか無い



 ブナ坂到着
随分と時間を食ってしまったな



 七ツ石小屋かここで昼飯にラーメンでも作ろうかと思っていたが
とてもそんな元気はなくなってしまった
倒木に腰掛け、板チョコをかじる



 それでもブナ坂に出れば
標高1700mくらいの稜線上に出れば、10本爪を使えるくらいの雪があるんじゃないかと思っていたが
この雪の少なさは一体どうしたことだ
昨夜の雨は、山の上では雪ではなかったの?
この暖かさで融けてしまったのか?



 飛竜山の方も白い色は少なく見える



 ヘリポートの所



 奥多摩小屋到着



 まだ時間が早いからか
張ってあるテントは3つだけ



 この小屋には過去3回泊まったことがある
一般的には駄目な所が、こと私にとっては魅力でもあるんだ

小屋番さんはいつものあの人だけど、水場のことなどさり気なく聞くと珍しく雑談に応じてくれた



 寝室側の扉を開くと
左側の蚕棚と奥の和室は取り壊され、シートで覆われている

こういう場所では梯子の登り降りを嫌っていつも下の段を使うのだけど
寒さの厳しいのが予想される為、少しでも底冷えが軽い上の段を使う



 まずは寝床を作る
ここの布団は乾燥してないのでそのままでは冷たい
なので毛布を2枚使ってその隙間に体を入れる
布団はその上から掛けるのがここでのコツ

遅い昼飯を作りたかったが、どうにも疲れてしまったのでまず一眠りする
うつらうつらしていると、珍しいことにもう一人宿泊者が来たようだ
それにしてもまだ14時台だというのに震える寒さだ
夜間が思いやられるなあ



この小屋のどこが気に入っているのかというと

ボロくて宿泊者がいない→貸切状態で静か
老朽化していてボロい→不快なほど汚くはない、なればそれはワビサビ
小屋番の人が極端に無口無愛想→世話を焼かれるよりも、放っておいてくれる方が私はありがたい
と、欠点が私にとっては魅力でもある

ただ、ポットン垂れ流しのトイレ(夏場のトイレ場本当にキツイ)と、干してない湿った布団だけはなあ、それされえなければなあ、もっと頻繁に来たんだがなあ



 スパゲティ200gを茹で、ヒガシマルのうどんスープと乾燥ワカメ・ネギを入れて食べる
寒そうに調理していると、小屋番さんがストーブに薪をくべてくれた
暖かくてようやくひと心地ついた
けれどその薪が釘など飛び出ており……
どうみてもこの小屋を一部取り壊した廃材……

もう一人の方もやってきてお弁当を食べる
三人共無言で、野生動物のようにだたストーブの暖かさを貪る



 暗くなる前にトイレにいっておく
日中はあんなに暖かかったのに
陽が落ちると急に寒さが襲いくる


布団の敷き方に工夫したのと、サバイバルシートを断熱材代わりに布団の上にかけた
またハクキンカイロも役に立っている
だが壁の隙間から外の冷気が染み入ってくる
寒い、とても寒い
体はともかく、足が冷たくてかなわない
寝返りも頻繁にうつほうだが、そのたび動く布団の隙間が寒い

ひょっとして地面からの冷えの対策さえできていれば、空間の限られるテントの方が寒くないんじゃ?と思うほどに
風もゴウゴウと恐ろしく吹いて、安眠とは程遠かった

朝になっても顔がひりつく寒さで布団からなかなか出難く
7時前になってようやく這い出す



 サバイバルシートは吸湿性がなく、結露するのはいつものことだが
その結露で布団の表面が凍っている
私の身体から出る熱が、サバイバルシートで反射されてなお凍るほどの温度だったということか
寒いわけだ



 温かいものを腹に入れなきゃとても耐えられない
が、
布団に水筒を入れてなかったのでコチコチに凍っている
いや、布団に入れてもどうだったかな



 プラティパスを溶かさないよう気をつけながら火に近づけて氷を融かす
サッポロ一番を2つ、昨夜食べ忘れていたソーセージと共に腹に入れてようやく身体は温まる

しかし身体は暖まっても足が凍えたままだ
木の床の上を歩くとヒリヒリとした痛みがある
様子がおかしいのに気づいて、靴下を脱いでストーブの火に足をかざす

火に近づけても温かくも熱くも感じない、何もかんじない
見た目はなんともないが、これは凍傷のごく初期症状だろうか
時間をかけて火にかざし、マッサージし、を繰り返している内にようやく足の感覚が戻ってくる
皮膚の表面の感覚は戻りかけても、足の中央部分に何も感じない塊が残っているような不思議な感覚とか
なるほど、体が凍えるというのはこういうものかと納得

いや、笑いごとではないな
ただ私は山のことは基本独学で、実地で理解しながら覚えてきたので
そして慎重な性格ゆえいきなり危険な事はせず、
少しずつ少しずつ難易度をあげて来たので
失敗はしても本当に致命的な事態はこうして避けてこれたのだ



 「おせわになりました」と管理人室に声をかけて出る
これが最後か、残念だ



 そして外は昨日の陽気が信じられぬ冷たさ
一応上はエントラントのカッパを羽織って、手も軍手ではなく防寒テムレスにしている
だがジャージのズボンを通して、テムレスを通して、皮膚がひりつくような冷気が沁みてくる
昨日はグズグズだった雪も固くしまって、4本爪のアイゼンが気持ちよく刺さる

雲取には登らないのかって?
体が凍えてそんな元気は失せてしまたよ
今は早く温かい下界に降りたい



 こんな寒さでもテントはそれなりに張られていたようだ

その後写真を撮ろうとしたが、スマホのバッテリー残量が0になっていた
あまりに寒いとバッテリーがこんな具合に死んでしまう
温かい所に戻ってくると復活する

ブナ坂から降り、樹林帯の中に入ると寒さも一段落する
マムシ岩の所でカッパを脱ぐ



 小袖乗越の駐車場に新しいトイレが出来ていた
冬季閉鎖中ではあったが
七ツ石小屋も、お祭り山荘のオーナーから買い取ったというし、丹波山村の意気込みを感じる
奥多摩小屋の奥多摩町とはえらい違いだ
ただ予算の厳しい地方の自治体で、住民サービスに直結しない事なので、
よそ者が安易に何かをいえることではないのだよな




小袖乗越でバスの時間を確認
現在11時……まあ、出発が遅くなったからな
10時半のバスは行ってしまった
次は12:21か
鴨沢のバス停にはカフェとかも出来たので、そこで時間を潰してもいいが
二つ先の留浦まで歩けば小菅から来るバスが12:01にある
それにしよう
(留浦終点のバスが以前はもっとあったような気がするが、それが無くなった代わりに小菅終点のバスが留浦を経由するようになったのか)



 鴨沢集落まで降りてきた
奥多摩湖は薄く凍ったまま



留浦バス停で荷を片付ける
自販機で飲む温かいコーヒーがうまい

12:01留浦発~12:36奥多摩駅着、のはずだが
実際は11:52留浦発で12:21奥多摩駅着だった
いいのかい?
(2/14追記 バスのダイヤは11:50が正解。昔からあるハイキング時刻表が更新されなくなっているようだ。西東京バスのHPからリンクが無いので妙だとは思ったが)

温かい湯につかりたかったが
もえぎの湯まで歩くのが億劫になってしまいそのまま帰ることにした
汗臭いが、まだ電車が混むような時間でもないしいいかな、と

奥多摩小屋、残念な話だけどせめてテント場だけでも残してもらえないだろうか
七ツ石小屋と雲取山荘の共同管理か何かで
難しいのだろうか

私は山小屋があまり好きではないのだが
そんな私が気に入っている例外的な山小屋、それが奥多摩小屋だった



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おまけ
丹波山村が設置したと思われる、この地の将門伝説の看板がいくつも建っていた
面白いので見つけた分だけ写真を撮った
全部で10枚あるらしい
読むとこの地の将門公伝説と、それが地名の由来になっていることが分かる


1.不明
鴨沢のバス停周辺にでもあったのだろうか




2.鴨沢の集落の上、山道に入る所
藤原秀郷に追われた将門一行がこの地に逃れ、ここまで来れば安心と酒宴を開いたと、それが「お祭」の地名の由来らしい
だが密告により追手が迫り、出立を余儀なくされたと



 3.小袖乗越にある
見晴らしのいいここで飯を炊いたらしい
けど追手が迫っているからお祭りから出立したのでしょ?
ここ、お祭りから1里も離れてないよ?



 4.小袖乗越の先の登山口から入って少し歩いた所
小袖川で身を清め、服を洗ったそうな
お祭同様、小袖の地名の由来に関してはナルホドだけど
繰り返すけど追手が迫っているにしては随分と悠長な



 5.廃屋の先
湯を沸かしてお茶を飲んだらしい
さっき小袖川で身を清めた時に水を飲まなかったの?
生水は避けたの?



 6.大きめの岩がいくつも転がったカーブのところ
風呂を沸かしたという
さっき川で水浴びしたのに……



7.堂所
休憩に胴を置いたことから堂所
それはそうと休んでばっかだね、君ら



 8.堂所の20m程先
正室の紫の前がここで自害したそうな



9.七ツ石山の神社にあるらしい



 10.ブナ坂十字路にある
ここから天祖山を目指したとあるので、一度日原側へ降りたのだろう
そして秩父へ向かい、大血川で99人(!)の側室たちが自害したと


この地に将門伝説が古くからあり、地名の由来にもなっているのは確かなのだろう
ただその伝説の内容が荒唐無稽な内容であり、
しかしながらそれが「創作民話」であり、現代人の耳に違和感内容に整える事もせずそのままに示している

おおよそ昔の「貴人・偉人がここで○○した」系の伝説はほら話ではある
ただちょっとした・ささやかな地元のプライドのようなもので、罪のない嘘ともいえる
そうしたものは文明開花の時勢によって徐々に取り除かれていったのだろうが、山中にはそうした伝説が残っているものだ

そうした伝説を、肯定も否定もせずにそのまま扱う姿勢は好感が持てる



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