2017年11月26日日曜日

2017/11/26日 四寸道再挑戦

※ご注意
この記事にある蟻の門渡りは岩場としての難易度は決して高くはないものの、手足を滑らせて滑落したら、たぶん死にます
岩場に不慣れな方が興味本位で向かわないでください
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11/26日 四寸道再挑戦

0630 池袋 東上線準急小川町行
0642 和光市
0643 和光市 快速急行森林公園行
0708 坂戸
0715 坂戸 越生行
0735 越生 720円
0801 越生駅 川越観光バス 黒山行
0815 石戸橋 350円
(これはあくまで当初の予定)

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昨日塔ノ岳に登って「山欲」は満たされているのだけれど
せっかくの好天なので、も少し軽めの何処かに行きたい
どこにしようかと考えたが、以前(2017/1/14の記事参照)藪迷いと雪とで断念した、四寸道のバリエーション、蟻の戸渡りに挑んでみたい




 地元の駅で一本前の電車に乗ってしまい、
池袋でも坂戸でも短時間の乗り換えですんなりといった結果、越生の到着が7:22
山の際なのでとても寒いし周囲に営業しているような店もない
この寒い中40分もバスを待つのもなー
と思ったがタクシーが一台客待ちをしている
いいや、さほどの距離でもないしタクってしまおう



 石戸橋の少し手前でおろしてもらう
ここまで2180円
朝っぱらだっていうのに、稲藁を燃やしているような煙があたりに満ちている


 ゆずの木のなかに赤い実が見えて、おや?と思ってよく見るとカラスウリだった


 10分程で横吹峠
ここで準備してから登り始める
一度歩いた所は特に言及することもないかな


 と、思いきや
なんじゃこりゃ!?
御嶽神社の手前の道が崩落している
大きな木が倒れた際に、ついでに地面の土もごっそり持っていったみたいだ


 斜面を巻いている道が崩落している場合、通常なら高巻きに通過するものだが
上の方は全く歩いた形跡がない
よくよく見れば、崩落した場所は岩盤層が露出していて、これならば二次崩落の危険はなさそうだ
気をつけて通過する


 通過してから振り返る
崩落してからある程度経っているような感じだ

http://race.trainic-world.com/sainokuni/
ちょっと調べたらこちらのトレラン大会のページに情報があった
11/25って昨日か
秋の長雨で崩落したらしい
確かに今年の秋は雨が多かったものな



さて、一度車道にでて、問題の入口
前回私が突っ込んだ所


 守屋地図では端的に「藪」の一文字でそれ以上の調査を行っていない
ただここから入っても、最初の右手の分岐で曲がればいい


 30m程車道を進めば分かりやすい入口があった


 急斜面をなにやらトラクターであがったような跡が


 この先にトラクターの主はいた
木の伐採を行っていたので、声がけして通過


 例の伐採地
前回はこの左(南)の斜面を這い上がってきたんだよなあ
しかしここだけぽっかり切り開いてどうするんだろう
鉄塔でも建てるのかな


 2回めの車道に出る
左に車道をしばし行けば七曲峠への入口があり、そちらが本来の四寸道
だが今日はここの正面を行く
バリエーションなので気を引き締めて


 あれ?取り付きに垂らされていたトラロープが無い
安易な気持ちの登山者が入らないように撤去されたのかな?
(それに関しては私もアレだが……)


 取り付きは悪いが、尾根にあがってしまえばどうということはない
踏み跡は薄いが、細い尾根の上を行くので迷いようがない
杉の枝打ちがしてあり、境界標識があったりで、人の手は入っているようだ


 その尾根が急な登りになり
上のほうが岩っぽいぞ
ここか?



 踏み跡は岩の右側と左側とにある
まず左側へ行ってみる


 岩の割れ目に体をねじ込むようにして登る
登っている時は気づかなかったが、あらためて写真を見るとすごいな、この木


 登ると少し平らな場所
先にもっとすごい岩場が見える


 その岩場の手前に石碑が
武蔵琴宮?


 手前の岩を登り、間の木を支えにして奥の岩に移る


 両側は切り落ちた高い崖
慎重に、慎重に


 出た、ナイフリッジの岩場
これが蟻の門渡りか
ここはまだ、岩の左側を歩けるが


 すぐに、ナイフリッジの上しか歩けなくなる
両側は切れ落ちた高い崖
両側の地上から生えた木のてっぺんよりも高いことから、いかにこの場所が高いか察していただきたい
冒頭の「落ちたら死ぬよ」というのは誇張ではない



 さらに恐ろしい事にこのナイフリッジ、くだるのだ
傾斜はそれほどでもないので正面を向いたまま、時々横向きになったりしてで降りられたが
もうちょっと傾斜がきつければ、後ろ向きになって降りないといけないだろうな


 中ほどに一息できる踊り場のような箇所がある
ここから下は易しい


 降りてから振り返って見上げる
手がかり・足がかりはたくさんあって、岩場としての難易度は高くない
ボルタリングやクライミングをやっている人ならばどうということも無いだろう
だが何しろ両側が切れ落ちた崖なもので、緊張感を強いられた


 踏み跡の薄い急斜面に枯れ草が積もって足が滑る
難儀ではあるが、さっきの岩場を思えば気は楽だ


 クマザサの斜面を登りきると何かの小屋の脇に出る


 そこからすぐ、20m程で



関八州見晴台に到着
天気はいいが、昨日と比べたらだいぶ靄がかかっている


 東北方面
目視できるのは赤城や、足利北方の山域まで
尾瀬や日光は流石に見えない


 西側
武甲山と両神山


 富士山と手前にかぶる御前山


 都心方向は霞んで何も見えない

関八州見晴台とは言うけれど
他はともかく相模国に関しては奥多摩の山並みの向こうに丹沢の山が覗いているってだけだよね




 高山不動尊のあたりは紅葉が見頃


 ここ
車道がカーブになっている所
何も案内はないがこのぽっかり空いた空き地の奥をのぞいてみると


 森のなかに踏み跡がある
守屋地図で紫実線になっている入口だ
事前に道があると調べておかないと気づきようがないな


 再び岩を登る


 岩の上にお地蔵様
西に高山不動尊の赤い屋根が見える
ここが虚空蔵山か


 虚空蔵山を南にくだると標識があり、道も広く明瞭になる
ここからは赤実線の通常ルートだ


 セビヘテ??



ああ、「瀬尾(を)経て」ね
ここが瀬尾へ降りる道と志田へ降りる道の分岐


 急坂の尾根を降り、沢沿いになると程なくして


 柿の木坂の家
守屋地図にも目標物として記載されている
要は志田集落の一番奥の家なのだが、なぜこんな洒落た名がついたのか
見ての通り電柱がここまであり、電線が家に引き込まれている
建物はそこまで傷んではいないが、人が住んでいるのかはわからない
何よりここはまだ車が入ってこれない場所なのだ


 も少しくだると道は広くなるが、車は見かけない
この集落の中を走る道は志田林道で、市町村道ではない
右手の橋を渡って山伝いに大久保へ向かう


 志田の集落には何軒も家屋はあるのだが、ひと目で廃屋と分かる家屋が多い


 ここや


 ここなど、ぱっとみて割りと綺麗な家屋もあるのだが


 日曜日のお昼時だというのに人の気配が全くしないのだ
本当に人が住んでいるのだろうか?
なにより志田林道沿いの家屋はともかく、今時車が入れない場所に人が住めるのか
なんとも不思議な場所だ


 志田の集落を離れ、山伝いに大久保の集落へ向かう


 大久保の集落は住民の姿が見える


 ここからは一度通った道
民家の庭先を通らせてもらって、裏の山を登る


 峠をすぎれば国道299号と休暇村奥武蔵(旧あじさい館)を見下ろせる


 通常の道沿いに進むと少し離れ場場所に下山するので
横着して近くに降りられると当たりをつけた場所へ藪を突き進むと
最後の最後で鹿柵に阻まれる
こんな華奢な柵じゃ乗り越えられないなあ
仕方ないので左手の墓場の鉄パイプの柵を乗り越え、お墓の中を通らせてもらう


 12:45に到着
ほどよく足もくたびれてきた所だ
昨日の疲労が残っていたので、少し軽めの山にしておいて良かった


 おや?1月から4月まで休館するらしい
休暇村としてオープンしてからまだそんなに経っていないのに


 露天風呂を満喫してから食堂へ
ここの食堂、14時でラストオーダーになってしまう
吾野駅からの送迎バスに乗ってやってくるとラストオーダーの直後というわけだ



 きのこそばとミニ天丼のセット
茶碗蒸しも付くが、それは後からきた
ミニ天丼のご飯の少なさがちょっと異常
牛丼並盛りのご飯の1/5くらい?しかない

日帰り温泉として気軽に利用しているが、休暇村って本来はリゾート宿泊施設なのよね
田舎の町営の日帰り温泉施設の従業員などと違って、ここの従業員たちってキリッとしてどこかホテルマンっぽいし

だからお腹いっぱいになりたい人向けではなくて、少量ずつ色々食べたい人向けに「軽く」なのかな
あるいは昔の田舎の人に特有の
「うどんやそばは食事ではない、食事とは米の飯が(少しであっても)出るべきだ」
という嗜好に対応したものなのかな
私の父もそうだったけど、晩御飯がうどんだけっていうのは嫌がるんだ
量の問題ではなく
たとえ冷やごはんでも、たとえ一口だけであっても、米を食べたがる


 国道が妙に混んでいると思ったら
東郷公園でもみじまつりをやっていた模様


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2019/10/6追記

今年守屋地図の奥武蔵が改訂された。
見やすい色になったり、標識やバス停の表記が加わったりしたがコースそのものには変更は見当たらない。
旧版から買い替えるほどのものでもないが、一つ目についたところがある。

これ。
「蟻の戸渡り」と表記されていたこのルート名が「岳岩岩稜」と変更されている。
蟻の戸渡とはここを登山ルートとみなす人の呼び名で。
岳岩とはここを古来からの信仰の対象とみる人々の呼び名なのだろう。
後者を重んじたというところに守屋地図の意図が見える。

そして私が左右に踏み跡が分かれていて左に行ったのが岳岩(あの立派な碑のあった場所)で、右に行けば岩場を迂回できる踏み跡だったようだ。