2024年1月15日月曜日

2024/1/14(月) 鎌倉散歩

山には行きたいが、どこに行くかを決めかねる。
そんなときもたまにある。
最寄り駅に入り、ひとまず池袋新宿方面に向かいながら検討するか、と思ったが。
ふと鎌倉に行ってみたくなった。
鎌倉北方の天園ハイキングコースは2回ほど歩いているが、西側の山はまだだったな、と。



江ノ電長谷駅で下車。
鎌倉大仏の前も通りかかったが、外の通りからはまったく見えないんだね。




大仏トンネルの脇から大仏切通にあがる。


切通しまで行ってしまうともう西側へ降りるようなので。
少し戻って北側へ向かう。




中学の日本史でも習う「鎌倉は三方を山に囲われ」というとこの山とはこういう細い丘陵なのね。
ある意味その方が城壁代わりに利用しやすいのか。
限られた切通しに敵の進軍路が絞られるだけでだいぶ便利。



ふいに車と舗装路・民家が出てくる。


この辺は傾斜がなだらかなため、山の上まで宅地として開発されているようだ。


無体な話ではあるが、源氏山公園、あまりに公園。


頼朝公。



源氏山の山頂。


山頂には小さなお社がぽつんと。
梵字と七福尊神とある。





雨でぬれるといやらしそうな粘土質の土。
あれ?そういや昨日は東京は初雪だったけど、こっちは降らなかったのかな。



浄智寺の脇を抜け、明日院の近くに下山。


鎌倉室町時代はあまり詳しくないのだが。
現代の町名として山ノ内とか扇ケ谷とかがあるのはなんかテンションあがるね。


鎌倉五山筆頭の建長寺。
こっから天園にあがろうかと思ったのだけど。
人けがない……まだ拝観時間じゃない?
いや、そんなことはないはずだけど……
なんか気後れしてスルー。


竹を編んだ塀。
地味ながらこれは立派な。




お参りしていく。
鶴岡八幡宮なんて中学の修学旅行以来だ。
実際今日も修学旅行生が大勢きていた。



奉納の酒樽。
地元神奈川の蔵が多いが、北は東北から西は伏見灘まで。
味噌とかごま油もありなんだ。


さて。もう少し歩きたくて頼朝の墓へ。
八幡宮の東側、現在の雪ノ下のあたりが幕府中枢機能のあった場所らしい。




頼朝と義時の墓。
驚くほどこじんまりとして質素。
ずっと荒れてたのが江戸中期になって、元は鎌倉の御家人であった島津家の殿様によってようやく整備されたらしい。

北条義時はさておき。
源頼朝の墓所が粗末なまま置かれていたというのは不思議に思える。
建前とはいえ、徳川は源氏の末裔を名乗っていたのに、東国に武家政権を打ち立てた頼朝を敬わなかったというのは。




墓所の左手から裏の山にあがれそうだったのであがってみた。


しっかりした踏み跡があったので、北方の天園ハイキングコースにまで繋がっているかと思ったのだけど。


細い尾根上が岩場で通せんぼ。
踏み跡は地権境の管理用だったみたいだ。


それでも左手に巻くように続く踏み跡を辿ってみたが。




うーむ。
私の足でもたぶん行けそうな感じではあるが。
今日は四つん這いになって土まみれになるって気分ではない。
着替えもないし。


ここで引き返すことにした。


観光客でごった返す小町通りを通って鎌倉駅へ。
ソーセージの焼いたのとかおいしそうではあったけど、まあ観光地価格だしね。


桜木町で降りて、飲兵衛のガンダーラことぴおシティへ。


ホームベースで気仙沼サメハツとどてスジ串。
つまみはうまい。
でも日本の温め方はひどいもんだ。



じぇんとるまんでハムエッグと紅きゃべ玉。
白扇って聞かない酒だなと思ったら長瀞の蔵らしい。正一合で300円。
キャッシュオンデリバリー式で合計1000円。やすい。気に入った。


風来坊本格四川ピリ辛麻婆豆腐(三辛)。
炒飯も食べたいような気もしたが、だいぶ酔ったのでそろそろ。


少しぶらぶら歩いて酔いをさまし、帰ろうかとした所で目に入った駅の立ち食いそば、川村屋。
こういう地元ローカルな立ち食いはいいですねえ。
なにより目を惹いたのが、ここではまだ丼を手で持って食べる文化が生きてること。

近頃はラーメンを中心に丼が大型化して。
丼はテーブルに置いて食べるのが普通になった。
そうなると丼の方も手で持たない前提で作られるので、高台が短くなり。
手で持とうとしても熱くて持ってられない。
個人的には犬食いは嫌だし、丼を直接口に運んで汁をすすりたいのだ。


そんなわけでアジ天そば。
アジの天ぷらがあるというのがいかにも神奈川というか。
つゆは黒いが意外と塩分は控えめでほのかに酸味がある。
東京のつゆとはまったく別物だ。
そういや、神奈川のローカルな立ち食いそばを食べるのは初めてかも。
小田急の箱根そばは秦野・大倉・新松田駅でよく食べるが、あれは神奈川ローカルって感じがしないし。