その1はこちら
0651 神田
0801 高尾
0802 高尾
0904 甲斐大和 1980円
0920 甲斐大和駅
0956 小屋平 970円
小屋平(1576)
↓0:45
石丸峠(1907)
↓1:10
小金沢山(2014)
↓0:35
牛奥ノ雁ケ腹摺山(1991)
↓1:00
黒岳(1987)
↓0:40
湯ノ沢峠(1650)
A
湯ノ沢峠(1650)
↓0:40
湯ノ沢峠登山口(1389)
↓1:10
やまと天目山温泉(979)
B
湯ノ沢峠(1650)
↓0:35
大蔵高丸(1781)
↓0:30
ハマイバ丸(1752)
↓0:30
天下石(1593)
↓0:15
米背負峠(1538)
↓0:40
米背負沢登山口(1243)
↓1:15
やまと天目山温泉(979)
やまと天目山温泉 520円 10時~
バス時刻
栄和 1331.1431.1531.1616 300円
市営 1358.1712 300円
タクシー約2000円
勝沼観光タクシー0553-44-1432
栄和交通タクシー0120-08-6336
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急に寒くなってきた。
年内にテント泊をするのも次が最後かな。
いや、必ずしも寒いとダメってわけじゃあないのだけど。
冬の間は冬にしかできない山登りを優先したいので。
つまり低山・里山歩きね。
そんなわけで上記の計画を立ててみた。
しばしば「山域」と呼ばれるものにありがちだが、大菩薩もどこからどこまでがそうなのかが曖昧だ。
仮に北側を柳沢峠まで、南側を滝子山までとするならば……
主脈上で私があと歩いていないのは石丸峠から米背負峠までとなる。
今回はここを歩いてみたい。
とはいえ大菩薩山塊は長大だ。とても一日で歩ききれるものではない。
しかし宿泊できるのは上日川峠から大菩薩峠の周辺に限られる。
縦走しようと思えばどこかで一泊せざるを得ないのだが。
実は湯ノ沢峠がその役割を果たしているらしい。
湯ノ沢峠は
・一般車両が入ってこれて駐車場もある
・トイレがある
・避難小屋がある
・水場がある
・主脈上でも大きく下った鞍部にあり、風の影響は(尾根上と比べれば)小さい
と条件がそろっている。
その為公式なテント場でこそないものの、ここでテント泊する人というのはそれなりにいるみたいなのだ。
もちろんおおっぴらに言う事ではないが、マイカーが入ってきて車中泊する人も居るであろう場所で、「自然保護」を名目としたテント泊禁止は筋が通らないだろう。
当然ながらテント泊が禁止される理由は「自然保護」だけではないのだが。
まあ、節度をまもって利用させてもらおう。
ところがウッカリ。
いつもの感覚で「奥から詰めねば」とバスの一番奥に座ってしまう。
バスは満席でこそないが、私の前に補助席も出ている状態。
とても途中下車できるかんじでもなく、終点の上日川峠まで来てしまった。
まあいい、30~40分の追加だ。
山小屋らしからぬつくりだ。
泊まった人の意見はおおむね「いい宿」らしい。
さて。大菩薩峠の休憩所で腰をおろしておにぎりとチョコバーをお腹にいれる。
今日は朝飯に自宅でカレーを食べてきたし、コンビニでおにぎりやパンも買ってきた。
食料は十分すぎるはずだ。
前回の反省ね。
峠のすぐ隣の熊沢山に登っているとちょっとしたトラブル。
20~30m先を行く男性3人組につられて歩いていると、不意に足元の土の地面が柔らかくなる。
違和感を覚えたが、3人組はどんどん先に行くし、踏み跡も確かに続いている。
戸惑いながらも先に進むが、やっぱりおかしい。
南東側の方へ下って行っているし、何より明らかに見覚えのない風景になってくる。
「これは間違えた踏み跡に入ったな」気づき、引き返す。
3人組は……私があれこれ思案しているうちにもう見えない所まで行ってしまった。
まあ、ほっといても大丈夫だろう。
下っていけばどこかしらで小屋平~石丸峠間のコース上に出るだろうし、実際踏み跡もあるのだから。
10分程度のロスで本来のコース上に復帰した。
だがすぐに次のトラブル。
にわかに西からの冷たい風が吹いてきた、風花まで舞う始末。
薄い合成皮の手袋しかしていない指が凍えてしまう。
手のひらをこすり合わせたり、服の中に入れて温めたりしたが、かじかんでどうしようもない。
指が凍えるというのはかなり深刻な事態だ。
先週から一週間でここまで様変わりするとは。
この薄い手袋しか持ってきていないのは失敗だったか。
石丸峠を見下ろす所までくると冷たい風も収まって陽射しのおかげで指の凍えも収まった。
よし、頑張ってみようか。
ここから牛の寝側へ降りたことはあるが、正面に進むのは初めてだ。
正面が天狗棚山、左が熊沢山。
大月市の秀麗富岳十二景の一つにして、大菩薩山塊の最高峰。
当然のごとく眺めがいい。
平野部の端っこの青梅あたりの山からも都心を眺められるが。
その遥か後方の山梨の山から同じような眺めというのは不思議な感じがする。
このあたりからちょっと左膝の様子がおかしい。
痛むって程でもないが、間接に妙なこわばりを感じる。
左膝は、山を歩き始めの頃に何度か手ひどく痛めてしまって。
それ以来歩き方には気を付けてきたつもりだったのだが。
このところ糖尿病治療から調子を戻しつつあって、
それで調子に乗ってしまったのか、重いテント泊装備でそれなりに標高差のある山を続けていた。
その疲労がたまってきたのか。
特に先週の雲取山の下りで急いだのがいけなかったか。
日常でも膝に小さな違和感があって、屈伸したりとかしていたのだけど。
うーん、これは無理はできないぞ。
ここも秀麗富岳十二景の一つにして、日本一長い山名の山だ。
食べているから当たり前だが、お腹はすかない。
先週の雲取の様に、ご飯は少なめにして、気持ち空腹気味の所へ行動食で糖分補給した方が調子よく歩けるような気もするが。
こればっかりはなんとも言えない。
このあたりには3つ「雁ヶ腹摺山」がある。
・無印の「雁ヶ腹摺山」
・小金沢連峰のこの「牛奥ノ雁ヶ腹摺山」
・笹子峠の近くの「笹子雁ヶ腹摺山」
なぜ同じ大菩薩に同じ名前の山が3つもあるのか。
またこの奇妙な名前の由来だが、
「空を飛ぶ雁が腹をこすりつけるほどに高い山」
とかいう説を見たことがある。
だがこうしてみると、樹木の色と草原の色とが、あたかも雁の背の毛色と腹の毛色の様にもみえる。
標識はない。
この時iphoneのバッテリーが30%台。
機内モードにしているのに妙に減りが早い。
冬至まで一月を切り、陽の傾きと共に空気も冷たくなってきて少し焦りがでる。
あまり高低差のない道を努めて黙々と歩くうちに黒岳へ到着するも、iphoneがバッテリー切れとなっていた。
予想外に素晴らしい眺め。
陽が傾いて空気も一層冷たくなってきている。
湯ノ沢峠へ急ぎたいが……膝の事もある、最後の休憩を取ろう。
左の手前がさっきも言った、無印の「雁ヶ腹摺山」。
旧五百円札の富士山はそこから撮影したものだとか。
ここから湯ノ沢峠まで一気に300m下げる。
やや砂ざれの道だが、心配していたほどの急斜面はなかった。
停まっている車は無し。テントが2張。
私がテントの準備をしているうちにもう一人がきて計4張。
今回はブルーシートではなく、280cm×220cmの汎用のテントシートを購入したのでそれを持ってきた。
これを前回同様クリップで留める。
短辺側も220あるので、床を完全にカバーできる。
もう陽が落ちるし、どんどん寒くなってくる。
水が心配なので先に水場へ汲みに行こう。
これ、真冬は枯れるかもなあ。
でもその場合はもう少し下って沢水を汲めばよいのか。
これ、トレッキングポールの延長金具なのだが、二股になっている。
こんな具合にAフレーム化してしまえば、中央の邪魔な柱は無くなるという寸法。
なるほど、確かに広々とした。
この赤い紐はなにかというと、二股にしたトレッキングポールのストラップ同士を結んで、広がりすぎないようにするためのもの。
ブランデーのお湯割りをのみつつ、魔法瓶の中のお湯を沸かしなおす。
コンビーフを一つとカップ飯2つで十分。
中本のカップ飯、辛いな。
今日の寝具は
・インフレータブルマット
・エアマット
・快適7℃の化学綿寝袋
・SOLのエスケープヴィヴィ
・SOLのエマージェンシーブランケット
エスケープヴィヴィについては前回も述べたが
https://www.amazon.co.jp/dp/B00KKRSV7C/
これは本当にすごい。
寝袋の性能が飛躍的にあがる。
いや、寒いのなら高性能の寝袋を持ってくればよいのだが。
重さよりもかさばるのがなんとも、なので。
1.5kgの冬用のダウンシェラフ、暖かいのはたしかだけど、あまりにデカい。
しかし今夜の冷え込みはとても厳しい。
クリップで裾を留めて冷たい空気が入ってこないようにしているとはいえ、完全には密閉できない。
密閉してもいけないのだけど。
足にホカロンを3つ貼った。
足の裏の爪先側、足の裏の踵側、足の甲の爪先側。
それを両足。
これのおかげで足は暖かいが、エスケープヴィヴィの力をもってしても上半身が寒い。
エマージェンシーブランケットを掛け布団の様にかけて、それでようやく寒くなくなった。
それでも明け方の4時ごろだろうか?
寝袋に入っていない顔面がひりつくような寒さだった。
まだ寝袋から出られないなりに今日の予定を考える。
左膝の事を考えると、米背負峠までの予定はキャンセルだ。
ここから直接下山しよう。
しかし……
地図のこの「荒廃している、通行注意」の文字が気になる。
酷く危険を伴う程に荒れていたのだ。
「道狭く荒廃気味」であれならば、「荒廃している、通行注意」はいかほどかと。
ただあちらはあまり人の通らないルートであり、
こちらはそれなりに通る人はいるようで。
今年に通行した人のブログでも特になんとも言及がなかった。
それを信じて降りてみよう。
悩んでいたのは他でもない、ここに駐車場があるように、車道が通じているのだ。
その車道を歩けば安全確実。
道のりは3~4倍になるが、危険な道を新調に歩くより断然早く歩けるだろうから、選択肢としてはアリなのだ。
トイレから戻って朝飯にする。
おしっこが我慢できなくなって、観念して寝袋を出てトイレに行く。
話には聞いていたが、たいそうきれいなトイレでした。
テントの内側がパリパリに凍っている。
7時半になってもこれだからな。
夜間の一番寒い時は-5~-10℃位まで下がったかもだ。
一つで十分な腹具合だが、かさばるので片づけてしまおう。
持ってきた缶詰やつまみ類はほぼ手付かずになった。
4張のうち、私が一番早い出立になった。
寒い時期に未明の撤収はつらいもんねえ。
そういえば日曜日なのに車が無いな。
昨日の夕方、軽トラが一台来たかと思えばいつの間にかいなくなったので。
あれは見回りか何かだったのか。
昨夜は誰も使っていなかったみたいだ。
外観は古いがつくりはしっかりしていて、中は清潔に保たれている。
敷物もあり、大切に使われているのが感じられる。
水場からの下りが踏み跡が薄く、鼻白むが。
テープを信じて降りていく。
まあ、迷う程でもなくなる。
テープもそれなりに信用できる。
この辺はまだ沢水の水量が少ないのでいいが。
崩れた斜面の上にかろうじて再度踏み跡をつけているといった具合で。
その踏み跡も再度崩れそうなとこがあり、足を置く場所を選ばないといけない。
足を置くべき飛び石が、浮石の事が多いのだ。
この写真の中央の石なんて、こんなに大きいのに浮石で。
杖でぐいぐい押しても動かないので足をのせて、体重を移していったらぐらりとしてヒヤリとした。
歩ける場所を対岸に求めて、渡渉を繰り返すようになっている、という風だった。
冬の間は通行止めなのか。
あるいは新型コロナの登山自粛要請でアレなのか。
してみると、昨晩に来た軽トラはやっぱり見回りなんだろうな。
みな建物は古く、廃集落になって20年は経過しているだろうか。
例えば林業者の作業所とかは無い。
してみるとこの電柱は、昨晩の駐車場のトイレに電気を届けるためだけに維持されているのか。
んー、ググっても良くわからない。
高千穂の八大龍王神社の分社というわけでも無いようだけど。
山の気を落としていこう。
ちょうど10:20。
沢沿いの山道で時間を食った分は林道の早歩きで取り戻した格好だ。
なぜか午前中は1便しかない。
午前中あれだけたくさん上日川峠にバスが行くのだから、帰りに客を乗せてもよさそうなものなのにね。
ともあれそのせいで、10時の開店直後に入っても、13:31までバスがないのだ。
まあ、最悪タクシーを呼んでもいい。駅まで2000円位だろうから。
しかし大菩薩の登山シーズンも終わりかけな上、新型コロナの第3波ということもあり、お客はすくなめ。
親切なおばちゃん店員がいてなんやかやと気を使ってくれる。
なにせ3時間後までバスがないのだからして、強制のんびりである。
湯上りに食堂で中生2杯と枝豆と馬モツ。
お土産もいっぱい買った。
お座敷でくつろいでいる時に食ってしまった。
武田の四つ割菱を模した生地に、クリームのと小倉あんのと。
表には武田信玄、裏には風林火山とある。
ぶっちゃけ今川焼なんだが。
今川は名乗れないよねえ、山梨県的に。
山梨県といえば、日本百名山の山頂にでも「山梨百名山」の標識を建てるくらい我が強いのだが。
南アルプスを抱える山梨県が大菩薩小金沢連峰を「甲州アルプス」とは随分控えめだな……
と思ったら違った。
これ、山梨県じゃなくて甲州市が言ってるのか。
いや、しかし小金沢連峰は2000m近くの展望のいい稜線が続く素晴らしい山だったよ。
今回は湯ノ沢峠から降りてしまったので、湯ノ沢峠~米背負峠間が未踏で残っているけど。
それは初夏にでも来よう。
大蔵高丸のあたりは初夏にはお花畑になるらしいし。
年内のテント泊はここまでかな。
寒いのがツライのもあるんだけど、このところ続けてのテント泊で膝を酷使しすぎたかも知れない。
と、同時に。
フロアレスシェルターで色々と思いつく改良・工夫も一通りやり終えた感がする。
今後もフロアレスシェルターを使用することはあるかと思うけど、ブログのタイトルとしては一区切りとします。
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