0800 新宿 あずさ5号南小谷行
0953 小淵沢
1007 小淵沢 小海線小諸行
1050 信濃川上 3740円+2240円
1057 川上駅 川上村営バス
1122 梓山 550円
■10/31(火)
梓山バス停(1310)
↓1:30
毛木平(1433)
↓2:00
十文字小屋(1970)
■11/1(水)
十文字小屋(1970)
↓3:50
三宝山(2483)
↓0:55
甲武信小屋
↓1:05
破風山避難小屋
■11/2(木)
破風山避難小屋
↓2:30
雁坂峠
↓3:00
笠取小屋
※3日目以降は未定
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仕事の勤務シフトの組み換えがあり、そこに乗じて5連休が取れてしまった。
5連休。
この仕事をしている以上、おいそれと取れる休みではない。
久しぶりにどこかガッツリといきたいところだけど、このところ冷え込んできていて。
アルプス八ヶ岳はそろそろ積雪があるかもしれない。
バス小屋などの予約も億劫だ。
そこで何の予約の必要もない奥秩父のテント泊山行へ。
もっとも5日も歩き続けられるかは、体力的にも精神的にも分からない。
一応食料とガスは5日分用意していくが。
小淵沢であずさから小海線へのりかえ。
旅館もYショップもある。
思ってたような山奥ではない。
この感じは農村ではなく、街道沿いの宿場町だ。
実際ここは宿場町だったのだろう。
三国峠や十文字峠を越えて、秩父と往来するための。
三国峠ももうずっと埼玉側は通行止めのままだ。
川上村の畑の中を行く。
(いまさらだが、川上村の川上とは千曲川の川上の意味なのだな)
さすが川上村というか。
さすが川上村というか。
行き交うトラクターや畑で仕事している人たちから鄙びた感じがまったくせず、農業で稼いでるってオーラが出てる。
私の子供の頃はうちの実家の方もそうだったと思うのだが。
代々の小さな畑を兼業農家が休日に自分の家で食う分だけ耕すような農業とは違うのだ。
ここが甲武信への登山基地になる。
チョロチョロと出ている水場を過ぎ、八丁坂を登っていくと、上の方から声をかけられる。
「テントですか」
と。
十文字小屋のおばちゃんだった。
今は無人なので先にテント張ってて構わないと指示される。
初めて来た十文字峠。
テントを張って一杯やってると、おっつけ小屋の人も登ってきた。
テント場代1500円。
水代トイレ代含めて2000円払っておく。
山でのタンパク質補給をどうするか。
コンビーフ・魚肉ソーセージなど常温で保存できる加工肉でもいいが。
思い切ってプロテインを持ってきた。
ただし使ったボトルはきれいにしておく必要がある。
1度水に溶いたプロテインってすぐに腐るから。
晩飯は山のお供、マルタイ棒ラーメン。
カロリー補給としては何食も食べるので、チキンラーメンのように直接味がついてるのだと塩分を取りすぎてしまう。
また棒ラーメンは脂質が少ないのでたくさん食べても胃に負担が無い。
もちろんコンパクトなのも。
正式に通行止めになった模様。
ただこれ、将来的に復旧するのかどうかは怪しいな。
林業や治山工事で必要ならば直すだろうが。
なかなかアスレチッキーだった。
身軽ならば楽しいかもしれんが、重たくでかいザックを背負った状態だと、ちょっとな。
昨日野辺山駅のあたりから見上げた時も感じたが、八ヶ岳は東から見た方が迫力がある。
真教寺尾根・県界尾根の上部側など、そんなとこ登れるのか?って傾斜だ。
尻岩。
エロい?
うーん、上級者向け。
山中でたまに落ちてる古い空き缶。
キャプテンクックのグレープドリンク。
なにか引っかかるものを覚えて手にとってみる。
裏返してみると。
ダイエーの販売。
唐突に記憶が蘇った。
ダイエー高崎店、ダイエーといっても百貨店型の店舗だったのだが。
子供の頃、親に連れられて行ったが、昭和の百貨店の形態として最上階に直営の大食堂があって。
そこが確かキャプテンクック……のような名前で、海賊船モチーフの内装だったような。
それにしてもこの缶。
プルタブはおろか、プルトップすら無い。
錐のようなものを突き立てて穴を開けて飲んだ痕跡がある。
南無三宝、三宝山。
埼玉県の最高峰だけど、奥秩父縦走路からははずれ、やや地味な存在。
広く穏やかな山頂で、展望はないが休憩にはいい。
三宝山、つまり北側からみた甲武信ヶ岳はきれいな三角をしている。
が、隣の木賊山のほうが山体が大きく迫力はある。
避難小屋は安易な利用をされないよう、快適な宿泊のための準備をしていないものだ。
誰かが置いた物資はむしろ撤去するものだが。
ここはなんというか、薪も寝具も水もあり、ガチで遭難してここに駆け込んだ人を想定しているかのような。
西の甲武信小屋にしても東の雁坂小屋にしても。
ここの鞍部からは若干登りが必要で体力と時間を要す。
ググると過去にここで大きな遭難事故もあったようだ。
それでガチめの対策を許容しているのだろうか。
小屋の中に座って休憩しつつ考える。
正直なところ、雁坂小屋まで行けたらいいな。
でも無理そうならここで一泊しても、と思っていた。
実際十文字峠を発って既に6時間歩いており、木賊からの下りも経て膝に疲労も感じだした。
しかしまだ12時過ぎ。
行けるだろうとGO判断。
破風山への登り、キツイッス!
危険箇所が無いのが救い。
視線が通るくらい急だったってことね。
キツイけど登りで良かったのかも。
足腰膝に疲労の溜まった状態でここを下るのは嫌だ。
ふむ?破風か破不かで表記ゆれがあるな。
標識を見た感じでは、山梨側は「破風山」、埼玉側が「破不山」だろうか。
国境の山が両側の国で異なる呼ばれ方をするのは、ある。
等高線かみて分かるとおり、屋根の形で破風なのだろう。
想像するに、山梨側の人が「はふさん」と呼んでいる事は埼玉側の人も知ってはいたが、
埼玉側からはこの山の屋根のような形が見て取れないがために、はふというのは破風の事だと分からずに、異なる字を当ててしまったのだろうか……
と、思案していたのだが。
後で調べたらWikipediaに答えがあった。
まさかのお上のやらかし。
破風山に設置する予定の三角点を、隣の木賊山に設置してしまった。
なので木賊山は破風山ということになり、追加で設置した破風山は破不山ということに。
現代の感覚からはちょっと理解しがたい。
間違いは直せばいいじゃないかと思うのだけど。
封建制社会から近代国民国家に代わる富国強兵の時代、
地元民の感覚よりもお上の新しく定めるものが優先されるような時代精神もあったのだろうか?
西破風~東破風はほぼ水平ながら、おおきな岩があって通行に慎重になる。
雁坂嶺のあたりはこういう立ち枯れが多い。
目にした瞬間「針山地獄みたいだな」
と思ったのだけど。
我ながら存外に核心ついてるかも、と考える。
現実でも○○地獄、呼ばれる場所がある。
関東でいうと箱根の早雲地獄とか。
硫黄を含んだ有毒なガスが地の底から吹き出て植物の枯れた情景に、昔の人は地獄のイメージを重ねていたのかも、と考えていたのだが。
これはたぶん順序が逆で。
山中は異界であるがゆえに山伏や修験者は山中を渡り歩いたが、中でも特に特異な光景……こういう立ち枯れの場所とか、酸化鉄で真っ赤な池とか、そういうのを語り伝えたものが針山地獄とか血の池地獄とかの通俗的な地獄のビジュアルイメージの元になったのではないか?と。
雁坂嶺。
先週の大菩薩嶺と同じく、ここも山頂名より峠の名前の方が有名だ。
○○嶺というのは山の名前としてはかしこまり過ぎてる気がする。
地元の人が昔からその名で呼んでいたとは思い難い。
たぶん元々峠も含めてそのあたり一帯の山を○○山と呼んでいたので。
近代的な測量を経てピークに名前をつける際に○○山とは別に○○嶺という名をつけざるを得なかったのでは、と想像する。
いや、あてずっぽうですが。
が、ここまで来て人けの無さにはたと気付く。
小屋の中で寝るなら2000円、テント場利用は1000円、水場トイレ協賛金が100円以上。
水場に水を汲みに行く。
封筒に記入してお金を入れて投函するシステム。
小銭が無いので2000円入れておく。
投函した瞬間、
「テントでなく小屋内で泊まってもいいのでは?この時間で誰も居ないなら貸し切りでしょ」
と思ったが。
まあいいや。
秩父側には雲が溜まっている。
水場は、あれ?
ポンプを停めたのか止まってしまったのか。
ともかくプラティパスだけでは汲みようがないので、ナルゲンボトルを取りに戻る。
溜まっている水に若干の不安はあるが、先週末には流れていただろうし、なによりホースで水を引いてきている水源地はここから遠いんだよな。
それでもテント場へ行くと先客が2張り。
さすが奥秩父縦走路だな。
ブランデーを飲みつつ明日以降の事を考える。
二日目に頑張って雁坂小屋までこれたのならば……
3日目に将監小屋、4日目に雲取山荘or七ツ石小屋で、5日間で奥多摩まで行くことも可能。
そういう想定で食料とガスも持ってきているものの。
実際に本日、重い荷物で9時間歩いてみるとなかなかに堪えた。
そして山欲も十分に満たされた。
いいや、明日はもう降りよう。
道で言えば秩父の川又側への道の方がいいが、川又側はあまりにバスが少ないので、山梨の三富側へ。
お湯を注ぐだけで出来るのは手軽でいいが、味付けのアルファ米同様の物足りなさはある。
ケトルではなくクッカーがあるならば、もうちょっとうまいものを考えてもいいかな。
3日目の朝。
テント内の温度は5℃くらい。
十文字峠よりは暖かかった。
朝飯を食べてテントを撤収したのが6時すぎ。
ゆっくりしすぎたかな?
9時半のバスに間に合わないかもだけど、次の10時過ぎのバスでも別に。
雁坂峠から山梨側へ降りていく。
知れた話だけど、1998年に雁坂トンネルが開通するまで、この山道が国道だったのだ。
ということは、国が何らかの山道の管理をしていたのかもしれない。
崖道が崩れて高巻きした踏み跡もいずれ……という箇所がいくつか目についた。
10年後にもここが変わらず通行できるかどうか。
戦後何度かの登山ブームがあり、国の政策として国民の健康に資するものとしてハイキングコースの整備が行われた時代もあり。
また地方においては地元の土建会社の維持のために山道の保全工事が発注されていたこともあったようだが。
しかし平成以降の長引く不況はそうした登山道の保全の余裕を行政から無くしてしまった。
実際2019年の台風19号以降、通行止めになった林道・登山道がそのまま復旧しないという場所も少なからずある。
登山文化の転換点にあるのかもしれないな。
・・・
体力的にキツくもなく、技術的に集中を要するでもなく、そんな山道を何時間も歩いてるとある種のトランス状態というか。
7割起きてて3割夢を見ているような状態に陥ることがある。
今回の山はとりわけそんな感じでそぞろごとを思ってばかりだな。
渡渉点よりしたは紅葉が見頃だった。
スマホのカメラは、青空の青さはやたらとビビッドに作る反面、紅葉とかの暖色系の色はくすんでしまいがち。
コンデジを持ち歩いてた時期は、マニュアルで色々いじったりもしたのだけど。
物理ボタンやダイヤルのないスマホではなかなかそこまでは、ね。
雁坂小屋から持ってきた水1L、結局手付かずだった。
ごくごく飲んで、あとは捨ててしまう。
林道に降りてからも紅葉はあるんだけど。
吊橋効果?
危険な崖道で見るほうが美しく見える。
途中、私同様のデカザックを背負った集団とすれ違う。
雁坂小屋でテントだろうか?
皆それなりに精強そうだったが、あの重荷で甲武信小屋まではキツかろう。
雁坂トンネルの南側から雁坂嶺を振り返る。
道が年々怪しくなりつつあるとはいえ、3時間弱であそこから降りてこれるのは古来の道があればこそなんだよな。
次の山交バスは道の駅には停まらないので。
笛吹の湯も素朴で悪くないが、次のバスが市営バスだと塩山駅でなく山梨市駅に向かう。
山梨市駅は飲み食いできるとこが無い。
また花かげの湯は。どうも私と相性が良くないというか。
あそこ、温泉と食堂が分離してて。
ドカ盛りメニューが有名らしく、食事だけのお客も結構来るようで。
タイミングによっては混んでて注文したものがなかなか来ない、というか注文を断られたりして。
そういうことがあって、どうも足が向かないんだ。
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