2026年6月17日水曜日

2026/6/11(木) 笹子峠

甲州街道最大の難所と呼ばれた笹子峠を越えてみたい。


駅から歩いたって構わない距離なのだが。
バスがあるのでせっかくだから乗って行こう。



バスで日影上へ。
ここは甲州街道でも国中(甲府)側の最期の宿場町だった場所。
今はもう宿場町の面影は無いが、古い民家の屋根が関東には珍しく高く急だったり。
雪が多かったのかな。

地名で「上」の読みが「カミ」か「ウエ」かは場所によってちょっと迷う。
関東で言えば京のある西の方が「上(カミ)」なのだけど。
ここは集落の南側で甲州街道的には江戸寄り。
山の上の方なのでウエなのかと思ったけど……バス停は「日影上(ヒカゲカミ)」だった。



しばらくは舗装された道を行く。
集落の裏手の急斜面が法面保護もなく少し不安を覚えるが。
見れば治山工事や林業は丁寧に入っているのがわかる。




作ったばかりの堰堤。




清水橋のところから山道に入る。



これは…擬木で施行された。
そう遠くもない時代にハイキングコースとして整備されたようだ。


擁壁が見たことのない…なんだこれ?


崩れているとこがあった。
水の抜けるシートのようなもので覆っていたらしい。



林業やら堰堤建設やらでよく人の手の入った山だ。


堰堤脇に散らばる石。
かつて石垣が組まれていたのが崩れ去った跡だろう。

天正十年、武田征伐の軍を進めた織田に追われ、国中を放棄した武田勝頼は岩殿山を目指してこちらに逃げ延びてきたが。
郡内を治める小山田信茂の裏切りにあい、笹子峠を越えることができず、天目山にて滅んだ。
笹子峠は軍事的にも重要拠点であったろうから、この石垣もなにかの遺跡だったのかもしれない。




しかしこうして歩いてみて、どうも違和感がある。
街道っぽくないのだ。
ひょっとしたら元の街道は崩れたり、舗装林道に上書きされたりで。
今こうしてハイキングコースになっている道は近年に作られたものなのかも、と想像したりした。



だいぶあがってきたところで舗装林道を横切る。



右手を見ればトンネル。


深くえぐれた道。
そうそう、江戸五街道のひとつともなれば人も馬も相当な往来があったはずで。
このくらい道型がはっきりしてないとおかしいのだ。




V字の切戸になっている場所が笹子峠。
旅人が落ち着けるような場所ではない。
「甲州街道最大の難所」とは単純な標高差だけでなく、道の悪さもあったのかもしれない。
山賊も出たというし。


街道歩きが目的ならこのまま笹子へ下ってもいいが。
今日はもう一つ目的がある。
北へ。




尾根の南側を巻く新道はちょいと悪かった。
土が柔らかく、路肩を踏み抜きやすいのだが、落ち葉で踏んではいけない場所が見えにくい。
山側の立木が道の上にせり出してきたり。
雑に歩いて肩がぶつかろうものなら、よろけて谷側に滑落しかねない。
慎重に歩こう。




笹子雁ヶ腹摺山。



姥子山の方の「雁ヶ腹摺山」
甲州アルプスの「牛奥ノ雁ヶ腹摺山」
そしてここ、「笹子雁ヶ腹摺山」
ようやくコンプリート。
そして大月市の秀麗富岳十二景のひとつでもあり……
ああ、そういや富士山が見えるかどうか、気にしなかったな。
まあこの曇り模様では。



笹子へ下っていく。




道は尾根筋、急斜面なところは丁寧にジグザグの踏み跡があって不安は無い。
やたらとたくさんあった「水造」の標識、なんじゃろ?
(下山後に調べたところ、水源林造成事業の境界票のようなものらしい)




この鉄塔の場所から尾根筋をはずれ、


植林帯の中を下っていく。




新中橋へ下山。
これまた歩いたって構わないような距離なのだが、10分後にバスがあるようなので。

バスに乗って調べると、笹子駅で40分近く待つらしい。
それならばと終点の大月駅まで行って何か食べよう。




駅前の寿司屋にて。
ミニサラダはビールを頼んだら自動で出てきた「お通し」。
地方の飲み屋ではない飯屋でアルコールを頼むとこういう「お通し」「突き出し」が出てくるが、別にお通し代はとられない。
都心では無い文化だよね。
有るとこと、無いとこの境界はどこなのだろう?
まったく期待してなかったが、予想外においしいマグロだった。


もうちょっと食べたくて駅そば。
ミツバ・かいわれ・茗荷・ネギ、薬味で食べるごまだれ蕎麦。


次の電車が中央特快の東京行きだったのでそちらのグリーン車でもいいのだが。
大月からだと特急の指定席でも値段がほぼ変わらないの。
なので特急かいじで新宿まで。

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