2016年7月1日金曜日

2016/07/01金 関八州見晴台

0539 池袋 西武池袋線準急飯能行き
0632 飯能
0642 飯能 西武秩父行き
0714 西吾野

西吾野駅~関八州見晴台~顔振峠~吾野駅



西吾野駅
西武線の中でも武蔵横手から西武秩父の間は山岳路線の扱いになる
その中でも最も秘境感溢れるのがここ
とはいえ無人駅ではなく、朝早くなのに駅員さんが改札で挨拶してくれる
人情味な
改札とホームの間に高架通路がなく、線路を直接横断するので、安全のために人を置いているのだろうか?


中央が駅舎
ここが駅から下った「駅前」である

石地蔵まで、東側から登る道と西側から登る道がある
西側からのほうがコースタイムが10分短いのを見るに、こちらのほうが歩きやすいのだろう
なので西側コースにする


ここを右に折れ、橋を渡ると「高山不動は右」の案内があり、それに従う
後で分かったことだがこれが罠だった

うさぎが高山不動への入口を案内してくれる
民家の脇を抜けて裏山に入る
正直、案内標識がなければまったく分からないぞ



下草が朝露に濡れていて冷たい

そこからの道は実に里山感あふれる
急坂はなく、大きく蛇行を繰り返す広い道
ところどころ軽トラが走るのか?という風でもある



何故か途中からうさぎに代わってムーミンとなる
里山らしく作業道が多いが、紛らわしいところには標識がある


不意に、広い道が終わる

ここからは痩せ尾根の急登が始まる
右手に少し高い山が見え、ここが地図上の398ピーク付近だろうか?
(と、この時は思った)

赤土の出た斜面
先日滑ってころんだので、慎重に

途中小さなピークをすぎる
荻の平茶屋跡か?いや、細い痩せ尾根でとても茶屋があったような場所ではない
ではここが398ピークか?
(と、この時は思った。電池節約のためにGPSはつけていなかったのだ。)

少し行くと、東側コースと合流する
あれ?ではやはりさっきのが荻の平茶屋跡か?

ともあれここで小休止
おにぎりを一つ食べる
時間を確認すると登山口から70分経過している
コースタイムは40分
いくら私の脚が遅いと言っても少し変だな?と不審に思う

小休止した所から少し進むと、広い山道に突き当たる

右が、高山不動尊と関八州見晴台
それは分かる
だが左が、荻の平茶屋をへて西吾野駅とある
どういうことだ?

としばし考え、理解に至る
私が登ってきた道は、東側のコースでも西側のコースでもない、中間の地図には無い道だったのだ
最初の登山口を間違えたのだ
最初の案内標識が右を指していたが、地図通りに西側コースを行くなら左に進むべきだったのだ

とは言え、出版社の地図で示すコースと地元の案内標識が違うと言うのは、里山・低山では良くあること
標識に従って進めば目的地には着く
気にせず進もう

稜線上が近くなってきたので、森が明るい


 左手の木々の合間の向こうに民家が見える
飯能市と越生町とを隔てる稜線付近には山上集落が沢山ある
3月に登った日和田山はこの稜線の一番東の端の山にあたる
その時に見た駒高集落を後で調べて、「山上集落」なる言葉を知った
(少し後に、続く)

これまた難しい
左手が登り、右手が降る

肝心の案内がこの有様
降るのは不安だが、右手方向が高山不動のはずと判断

これまた難しい分岐
右奥へ進むのは高山不動とあり、左手に進む方は不動三滝・関八州見晴台とある
地図を見ると、左手から山頂に上がる道は無い
無いが、多分行けるのだろう
が、ともあれ一度高山不動を目指そうと思う

高山不動らしき建物が見えてきた
したの方の建物から人の気配・生活音がする
(駅を離れてからここまで、誰にも会っていない)

ちょっと登るとお堂が
って、なんじゃこのでかいお堂は!
恥ずかしながら、事前調査漏れ
地図で見て、山上集落の人たちの小さなお寺だとばかり思っていた
後で調べたらここは、「関東三大不動」の一つなのだとか
いやしかし、こんな山中によくもまあ

 お堂は無人だが、下の僧坊などの方からは人の気配がする



肝心の頂上への案内が無く、それらしき道が複数ある
一番道がはっきりしているのを選ぶ



 車道を横切る
林道ではあるのだが、山上集落への生活道路でもあるので、電柱が建っている



ホタルブクロ

頂上が見えてきた

関八州見晴台に到着
直後にソロの方が後から登ってきて、山中でようやく言葉を発する


駅から少しおりたところが標高240m位なので、530m程登った事になる
標高差の割には随分と時間を食った

西側
目視では武甲山から東京との県境までの「奥武蔵アルプス」が見えた

北側
日光や尾瀬、谷川まで見えるのはよほど空気の澄んだ時だろう
夏では無理だろう

南東側
房総半島から丹沢まで
なるほど、確かに晴れていれば関八州が見えるわけだ

おにぎりを一つ食べて休んでいると、二人連れが登ってきた
入れ替わりに出発
ここから顔振峠まで、飯能と越生の市境の尾根上をひたすら歩く



一旦車道に出る


車道を歩いたり、山道を歩いたり
地図上では車道を歩くしかないようでも、実際は山道があったりする





山道から傘杉峠に出る

次の622ピークはパス
南側の車道を歩いて巻いてしまう

陽が出てきて暖かい
既に汗だく

顔振峠にいくつかあるお店でお昼を食べようと急いているのだ
3月の駒高集落のお店は13:30で閉まってしまったので

ピザ屋を過ぎて二軒目、手打ちそば屋がある
ここにしよう

店の前の外の席

蕎麦は黒めの田舎風
後で粉吹きイモもサービスしてくれた

店の前から
集落が見える

ごちそうさまでした

そば屋の先に平九郎茶屋と顔振茶屋
ここが顔振峠になる
ここから東へ5分登ると眺めのいい頂上があるのだが、
本日は真っ白なのが分かっているので下山する
ちなみに地図などで顔振峠は”こうぶりとうげ”と読むが、地元の標識はみな”かあぶりとうげ”となっている
名前の由来は義経一行がここを通った時、あまりの眺めの良さに首を振り振りしたという事らしい
真偽の程を詮索するのは野暮というものだろう
もう一つ、平九郎とは渋沢平九郎の事で、渋沢栄一の妻の弟にあたる
戊辰戦争の際に新政府軍と戦ったが敗れて落ち延び、この峠の北側で追手に捕らわれそうになって自刃したそうな

顔振峠の山上集落

地形図で
この小さな四角が全て民家

(山上集落についての、続き)
山上集落という言葉を知ったのは今年の3月だが、
山上集落自体はこれまでにもいくつかお目にかかっている
奥多摩の峰谷から更に登った奥集落や峰集落は標高1000m近い
陣馬山の麓の栃谷集落も、陣馬温泉から山を登った中腹に突如として現れて驚かされた
とはいえ
山上集落と言っても実際は山上ではなく山の中腹にあることが多い
山頂や稜線上では水を得られないからだ
だがこの辺の山上集落は稜線上や稜線付近に存在するのが目を引く
水道が通る以前はどうしていたのだろう?
それとも水道が通せるようになってから人が住みだしたのだろうか?

平九郎茶屋の前を通った時、愛想の良さそうなおかみさんが「休んでいきませんか」と声をかけてきた
ソバを食べたばかりなので遠慮したが、コーヒーの一杯でも頼んで、そのへんの話を聞いてみても良かったかなあ、と後悔



画質ザラザラ
スマホのデジタルズームなんて所詮こんなもんです
光学ズームの代わりにはならない

山道が終わって車道に出る
右手を進めば顔振峠へ車で行ける

麓の集落に戻ってきた
左手の丘に保育所・小学校・中学校が集まっていて、賑やかな声が聞こえる
その丘を超えると、

国道299号に出る
正面が吾野駅

最後の罠

14:10の飯能行きで帰る
山ではハイカーにあまり合わなかったが、駅では山から降りてきた人たちがそこそこいる
皆、どこに登ったのだろう


今回は予想外に難儀した
里山では登山道だが作業道だかがわかりにくいということはよくある事なのだが、
それは麓に近い方の話
通常は山の上の方になるにつれてそういう紛らわしい道はなくなる
だがこの山域は、山上集落があるので山の上の方でも紛らわしい道が沢山ある

登山者の多い山域で、標識が多数整備されている
だから標識に従って進めば基本的に問題ないとは思うのだが、
それでも初めて登る山で、地図にルートがない場所を進むのはなんとも腰が引けるのだ



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7/4追記

本文にて「西側ルートを登ろうとして、西でも東でもないルートを登った」と記載しましたが
あの後いろいろ調べてみた所、私が登ったのはどうも東側のルートだった模様
なぜ何重にも間違えたのか反省するに

・西吾野駅から線路下をくぐった時直後に右手への道があり、それを東側ルートへ道と誤認した

・痩せ尾根を登った先の最初の合流地点、別の方の記録などを見ると「吾野駅」の方からの合流路だった模様
手持ちの地図にはそのルートが表記されていないのと、自分は西側ルートを登ってきたという思い込みが「吾野駅」の表記を「西吾野駅」と誤認せしめた

のではないかと
反省と自戒を込めて、本文は訂正せずにおきます
いろいろな道が入り組んでややこしい里山ではむりせずGPSを使おう

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