2024年11月28日木曜日

2024/11/24(日)~25(月) 小金沢連峰南部

久しぶりに滝子山の南稜を登り、未踏だった米背負峠~湯ノ沢峠を埋めに行く。


■計画メモ
0705 バスタ新宿 新宿~甲府線 京王1501便 1700円(web決済)
0828 中央道笹子

中央道笹子
↓3:30
滝子山
↓1:15
大谷ケ丸
↓0:15
米背負峠
↓1:00
ハマイバ丸
↓0:30
大蔵高丸
↓0:30
湯ノ沢峠
↓1:50
やまと天目山温泉

やまと天目山温泉 1000-1900

甲斐大和駅への帰りのバス
甲州市民バス:1350.1622.1847 300円
栄和交通バス:1431.1616 300円

甲斐大和~王子 1980円



本日のパッキングは水2L込みで13.4kg



中央道笹子バス停から。
滝子山にはここが一番便利。



以前は無かった警告。



寂悄苑のところで身支度していると、団体さんがぞろぞろと登っていく。
どうも近年ここの南陵(寂しょう尾根)が人気でてきたのか、大勢の人が登る模様。
それに伴って事故も増えているのか。
それで警告文も多くなったのかな。



鉄塔のとこ。
以前来たときは工事中で、上の林道からここまでモノレールが敷かれていて。
迂回するように組まれた足場を歩かされた。



林道を横切り、




尾根筋をひたすら登っていく。
紅葉も終わった細い尾根は枯れた枝と秋空とで、なるほど”寂悄”か。

ところで。
以前の山と高原地図では「寂しょう尾根」の表記だったものが今は「南稜」となっている。
理由は分からないのでこれは想像だが、尾根末端にある私有の小屋「寂梢苑」にちなむものだったのが、登山界隈だけの勝手で地名を名付けるのも傲慢だという反省なのだろうか。
似たようなのは守屋地図にもあり。
奥武蔵の四寸道から関八州見晴台に直登するとこに高度感のあるナイフリッジの岩場があって旧版では「蟻の門渡り」という名称だった。
新版では「岳岩山稜」となっている。
行けばわかるが立派な石碑があり、信仰の対象だった岩なのだ。
そういう……なんというか、ポリコレ的な波?
絶賛でもないが分かると言えば分かる。
また反対するほどでもないが。
寂しょう尾根については地元の当局も使っているし、元々の名前があったわけでも無いからそこまで神経質にならなくてもいいんじゃないかな。



この看板のあたりから岩っぽくなる。



とはいえこのあたりはまだ、岩の間を縫うように登っていくので、ついでに両脇の岩角を掴むくらい。


道中唯一の鎖のここから一段厳しくなる。
とはいえ傾斜や高度は無いのでそこまでおっかないとこでもないけど。
それ故かな。
踏み跡が結構散らばってるというか。
岩場を乗り越えるか、右手に巻くか、左手に巻くか、いずれも行けるのだけど正解を選ばないとちょっと大変だったりちょっと危険だったり。
ん?ここ登るのか?
と岩の乏しい凹凸に靴裏をかけ慎重に身体を引き上げるような登りをすると、たいていもっと楽そうな踏み跡と合流する。
そういう間違いを3回はした。
前回ここ登ったの結構前だけど。
なんか記憶と違うなあ。以前はこんなに判断で引っ掛かった記憶が無い。
踏み跡が増えた?


浜立山からの合流地点にくると、何やらトラロープが。



南稜への入口に警告がある。
以前はなかったものだ。


反対に以前はあった浜立山方向には何も無くなっている。
浜立山はもとよりバリ上等な人しか行かないから(と言っても標識はあるんだよなあ)かな。

登山口にあった警告がここにも。



滝子山山頂。
昼時ということもあって例の団体さんで賑わってる。



北を見ると黒岳と雁ヶ腹摺山、その鞍部の大峠。



鎮西ヶ池。
鎮西八郎こと源為朝が八丈島を脱出してここに庵を構えたという伝説があるらしい。
正直脈略がわからない。
たとえば同じ貴種流離譚にしても、奥多摩や秩父に点在する将門伝説は将門の出自たる坂東八平氏の土地で将門に同情的だから、というのがあるけど。
ここのはほんとになんでだろう?


アモウ沢乗越で休憩。
例の団体さんがスミ沢ルートで下っていくにぎやかな声がここまで聞こえる。





滝子山~大谷ケ丸は歩く人はそれなりにいるはずだが。
地図にもある通り、ここ、1567ピークの手前だけなぜか踏み跡が薄い。
ピークの手前の小さな丸い丘のせいで踏み跡が散らばるから、またなだらかな起伏のせいで落ち葉が積もるから、もあるだろうか。

普段山でリボンテープを目にすると
「そんなにベタベタつけなくたってこんなに道が明瞭なんだから迷わないよ」
と思うこともあるけど。
これは因果の把握が間違ってるのだろう。
リボンテープがあることで、歩く人がそちらに引き寄せられ、踏み跡が収束して道になる。
そういう機能もあるのかと。


大谷ヶ丸に向かって西に90度折れるあたりには、さすがにあたらしめのピンクテープがあった。



手製標識はどうかと思うようなのもあるけど。
これはいいやつ。


寝床を作って。


沢水を汲みに行く。


戻る途中、沢の源頭部を渡るように北へ向かう踏み跡がいくつかあった。
以前は無かった、と思う。
どうも大蔵沢の作業林道が延伸して、米背負峠のすぐ近くまで来ているらしい。
行ってみないとわからないが、ものによっては沢の中を下るよりも早くて安全かも。


ウィスキーを少量コップに出し、お湯で10倍くらいに薄めてふうふうすする。
家ではやらない飲み方だけど、寒い山ではこれがいい。
疲れた身体に甘くて香ばしくていくらでも飲める。


魔法瓶を熱湯で満たせたなら、つぎは晩飯。
実はバスタ新宿のヤマザキで色々買うつもりだったけど、トラブルで乗り換え時間が無くなってしまった。
まあ食料はたっぷりある。
マルタイの九州ご当地味のやつ、それの久留米。


この新しいテント、軍幕とツェルトのあいのこのような作り。
底部の通気性は抜群で正直寒い割りに、ツェルトの様に天頂部には換気口がないので煮炊きをすると通気性の割りには結露が発生する。
その点と、生地が厚くて重い事以外はまあまあ良い。

足の裏と足の甲カイロを貼ってたので足元は大丈夫だが。
夜中の2時くらいに寒くてガタガタ震えだす。
追加でカイロを心臓のあたりとお腹に貼る。
次はもう冬用の寝袋でないとだめかな。


明け方が近くなると、少し暖かくなって眠れた。
結局7時過ぎまで寝ていた。
朝飯はアマノフーズの賞味期限の切れてるやつ。



撤収時の気温は氷点下だが、風がやんで陽が当たるだけで随分とあったかい。


では出発。
湯ノ沢峠まで北上してからやまと天目山温泉へ。




武闘会の会場



草原でなかなかの適地。水はないけれど。



乾いているようでいて、滑りやすい。
なかなかに難儀。



小ピークに登れば雲一つない富士山と、雲が沸き立ちつつある関東平野と。



ハマイバ丸。



ハマイバ丸から北は歩きやすく整備されてる。



こういうタイプの鹿柵は初めて見た。
閉めるときは扉を閉めるだけでロックされる。



大蔵高丸。
甲府盆地の向こうの南アルプスも稜線がうっすら白くなってる。

大月市の制定する秀麗富嶽十二景はネーミングの勝利よね。
実際には20くらいありながら、付近の山頂は一つにまとめてるのも含めて。
引き合いに出して申し訳ないが、都留市二十三秀峰と比べるとセンスの良さが光る。



大蔵高丸からの下りは安全なジグザグ道。
湯ノ沢峠から大倉高丸まで、ないしハマイバ丸までならお手軽なハイキングね。


初夏にくると綺麗らしい。


おなじみの場所におりた。


まだ林道が冬季閉鎖される前なので。
ここに車を停めて登る人も多い。


避難小屋でお湯を飲んで休憩。
いまさら気づいたが、電気が使えるんだな、この避難小屋。


さて。
湯の沢峠から西の沢沿いの道は前々回下った時に結構荒れてて嫌な思いしたんだよな。
それで前回は林道を使った。
道のりは4倍近くになるが、安全にすたこら歩けるのでエスケープとして選択肢にはなると思う。
まあ今回は久しぶりに沢沿いを降りる。


このへんだったかな。
高巻き(といっても2mくらい)の踏み跡が柔らかい砂ザレで今にも踏み抜きそうで怖かったのは。
今は崩れ切ってしまい、川床を歩くのでかえって安全。


ここは変わらず。
むしろこんな場所によく柵を作ろうとしたな。




渡渉は多い。
ヌメヌメしたりぐらつく石は無いので、ストックがあれば問題ない。
ストックが無いとちょっと嫌かも。



林道が近くなってくると、車両が通った形跡の広い道になる。
旧大和村の名前の小屋がある。
営林用の車両倉庫っぽいが、不思議と温かみのある小屋だ。


木賊近くの廃屋。
妙に心惹かれる。



八大龍王神社。
調べても良く分からん宗教団体。



やまと天目山温泉に下山。
体調がまだ戻ってないのと、テン泊装備で重かったのとでだいぶ時間がかかってしまった。




やまと天目山温泉は強アルカリで泉質は素晴らしい。
ただ強すぎて長時間は入っていられないのが難。
露天風呂の目の前の渓谷の紅葉が見ごろで最高でした。

湯上りのアサヒ、として笹一のひやがうますぎるっ!
お腹がすいたので鹿骨ラーメン(醤油)も。
猪骨ラーメン(味噌)も気になった。


干し舞茸と、信玄焼(クリームあんず)を買う。


初めて気づいたが、温泉前のベンチ、東京電力の寄贈だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿