奥多摩を軽く、以前から気になっていたハンノキ尾根を歩いてみたい。
山高地図には載っていないが、守屋地図では紫線ルートで紹介している。
前日にだいぶ雨があり、バリルートはどうかな?とも思ったのだが。
まあひとまず行ってみよう。
境橋バス停で降り、
かつてはこの上に集落があり、生活道でもあったため、道はそこそこ広い。
住民が去って数十年といった感じかな。
平らな場所を確保できるならそこに家屋を立て、傾斜地は山畑や果樹園などだったようだ。
昔は求められれば採算性など度外視でどんな場所にも電柱を建てて、電気通信といった文明を届けたのだ。
玄関と曇りガラスを隔てて居間がありこたつがあり。
二階というか屋根裏にあがる急な階段があり。
私が子供の頃の実家の方でもこういう造りのおうちはいくつもあったよ。
さすがに中に立ち入るのは控える。
大変な暮らしだったろうな。
平成の頭頃にはまだ居住していたと思われる。
電力柱表示で「境91」?NTTの表示はない。
とはいえここもパラボラアンテナがあり、衛星放送開始時点ではまだ居住していたのだろう。
ここももちろん人の手が入っているが、現代の林業者によるものだ。
さて?
左手を見るとモノレールがネットを突き抜け、若干の踏み跡も見える。
右手を見ると広めの道が見える。
広い道をすいすい進んでいくが、
これも小中沢からの作業道だ。
そもそも山の上に向かう登山道がこんなに広い訳が無い。
さっきの場所まで引き返す。
モノレールがネットを突き抜けているとこから、
林業者のものだな。
かつてはここに寝泊まりした飯場だったのだろう。
こういう場所に転がっている酒瓶といえば一升瓶と相場が決まっているが。
ここの山男たちはずいぶんとしゃれた酒を飲んでいたようだ。
稼ぎも良かったのかな。
・緩斜面であり、歩こうと思えばどこでも歩ける。その為踏み跡が散逸してしまう
・かつての作業道と交わったり交わらなかったりで登山用のルートが見えない
・起伏のある地形で樹木に覆われている為地形が読みにくい。
正直GPSとコンパスが無いとお手上げだよ。
これは何度も話していると思うが、かつての山での暮らしというのはそれなりにお金になったようなのだ。
路線バスの終点、どんずまりの山奥の集落が立派な母屋や白塗りの蔵が並んでいたりして驚く。
材木や炭を売って財を築けたようなのだ。
それも戦後は海外から安い輸入木材が入ってくるようになり、エネルギーも石油ガスに代わり、お金にならなくなった。
そうなるともう、山での暮らしは諦めて里に降りるしかない。
さんざん迷わされたのもあるにしても調子が良くない。
汗がダラダラでペースが遅い。
これは予定通りには歩けないかもな。
東の氷川の方から来る電波をここで反射させて、南の奥多摩湖の方へ降ろすのだろうか。
当初の見積もりではここまで2時間、六ッ石山を回って石尾根を駅まで歩こうと思っていたけど。
全身びちょびちょでぐったりしてしまった。
まずはヤナギコージで水分補給。
喉は乾いていたのだけど、定食が出来上がるまでに飲みきらないとはやはり調子が良くなかったか。
ちょっと覗いてみる。
かつてのスーパー時代の面影を……意図的に残しているのかな、これは。
テナントは5つくらい出店できそうな造りだけど、現状はカレーとラーメン。
バテレの地ビールもある。
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