2017年11月4日土曜日

2017/11/03金 青梅丘陵

2017/11/03金 青梅丘陵

10月中は週末の天気が悪く、なかなか山に行けなかった
仕事のほうが慌ただしかったのもあるが

この三連休は好天なので久しぶりに満喫するべし
とはいえ初日は朝早く起きるのが辛いため、軽めの山にしよう
前から候補に考えていた青梅丘陵を歩いてみたい
駅から駅へのお手軽コース(ただし距離はそこそこ長い)なので、乗り換えも調べず中央線に乗る

立川駅で朝飯に長田本庄軒の朝食セットを食べる
天かすの乗ったそばと、ご飯と、すじこんの入ったオムレツのセット
そば自体はどうってことないが、つゆがとても旨かった
ガツンと強烈な昆布に煮干しのあわせ出汁、牛肉の旨味もきかせてある
所謂関西風とも全く違う、かなり独特な味
10年以上前、立川に勤めていた時は食べなかったのが今更惜しまれる



 軍畑駅で降りる
既に10時半頃
山に登るというのに何たる堕落!

だが他にもたくさんの人が降りる
殆どは高水三山に行くのだろう
奥多摩では初心者向けの人気コースだ
高水山でお昼にするならこの時間でもいいのか

ザックの中は500mlの水筒ひとつなので、自販機でリンゴジュースと缶コーヒーを買い足しておく
この商店、以前はおにぎり・お弁当なども売っていた記憶があるが
今はわずかなパン類があるだけだ


 踏切を渡り


 平清橋
ここを左に行けば高水山
青梅丘陵は車道を北へさらに10分ほど登った榎峠が登山口になる、のだが


 守屋地図で、平清橋の所の民家の脇から「雷電山西尾根コース」があるのを確認している
紫実線コース(標識のない上級者向け)だが、面白そうなのでこちらを行ってみよう
肝心の守屋地図は置いてきてしまったが、何、スマホで「山と高原地図」も「国土地理院地形図」も見られる
(これが今回のちょっとしたミスの元となる)


 元々の道はしっかりしていたのだろうが、やや荒廃ぎみ


 荒れている割に、山の斜面に石垣が組んであったりして
滝子山で見た「悲しみの森」と同様、ここも戦後にわずかなりとも田畑を求めて開墾された場所なのだろう
それが時代の変化とともに放棄されてしまったのか



 荒廃気味とはいえ、元々の道はしっかりしていのと思われる
さほどあるきにくくはない


 遺棄された廃屋が3軒
農作業小屋などではない、確かに人が住んでいた家屋だ


 その廃屋の脇
木が腐ってなんとも頼りない橋
蔦類が通行の邪魔もしている


 どこか他に渡渉出来るところはないかと探したが
渡渉は出来るが服を汚してしまいそうだ
あきらめてさっきの橋を慎重に渡る


 その先、お墓がある
お墓の右脇から登る踏み跡があるが、若干心もとなくみえる
念のためGPSを出して確認してみると……



あっ、あれ!?
違うぞ
ここじゃなくてさっきの廃屋の所から道が続いている事になっている

けど道なんてあったかなあ?
確かによく探したわけではないけれど
どうする?あの不安な橋を戻って廃屋の周辺を探してみるか?

少し悩んだが、地形の状況からしてここからでも踏み跡をたどれば雷電山には行けるはずだ
と当たりをつけてこのお墓の所から登ってみる事にする


 踏み跡が怪しかったのは最初だけで
意外なほどに踏み跡がしっかりついている


堀切のような



 ただし道は結構な急斜面だ
写真だと伝わりにくいが


 あまりに急だからか、トラロープまで垂らしてある


 急斜面のトラバースにもトラロープが渡してある
このロープの渡し方、明らかに山慣れた人たちの細工であり、取りも直さずここが山林作業者の踏み跡などではない確かな山道である証だろう


 ロープの所を通過すると、急斜面は一段落する
だが今度は踏み跡が薄くてどっちへ進んでいいのか判断に迷う
雷電山へは東へ、斜面を登っていくはずで、実際登っていくことは可能に見えるのだが……

目を凝らしてあたりを見回すと、北の方向へ薄い踏み跡が見て取れる
そちらへ行ってみよう


 すると再度トラロープが出現
こっちで正解なのか


 うすーい踏み跡の三叉路をカンで右に進むと、ようやく榎峠からの本来の登山道に合流した



一応GPSでも確認


 来た道を振り返ると
「この先悪路危険」との消えかかった警告がある


 ちゃんとした登山道なので標識もある


 雷電山到着


 僅かだが北面が伐採されていて、東京(青梅)と埼玉(飯能)の県境の丘陵地帯が見渡せる
このあたりは採石場が多い



既に駅から1時間以上経過
随分時間をくってしまったな


 充分休んでから出発
これまでの道は何だったのだ、と笑ってしまうほど状態のいい道だ


 辛垣城跡(からかいじょうせき)は巻かずに登ってみる


 山頂には特に何も無く、急坂というほどの所も無かった

ふむふむ
秀吉の小田原攻めが確か1590年
そのわずか27年前に、北条に臣従しない国衆がいたのか
八王子城の目と鼻の先のこの青梅に

もとより川越夜戦で関東管領の力が無くなった以降の関東の国衆というのは、
北条なり上杉なり武田なり、その時々に進出してきた大勢力に臣従せざるを得ない弱い立場だったのだが
郷土史というのも(興味さえあれば)面白い


 青梅丘陵は人里のすぐ裏手の、なが~い尾根であるため
尾根から麓に降りる道は無数にある


 鉄塔がある
いつものアレを撮ろう


 と思ったが草ボーボーの傾斜地に建っているので止めておく






 三方山から秩父方向


 三方山から所沢・飯能方向


 三方山の山頂は狭くて何もないが、山頂のすぐ東側にベンチがあった
休憩ならこちらがいい


 日光連山までみえるのは、真冬でもそうそう無いだろう



 この青梅丘陵は、標高差こそさほど無くとても歩きやすい
だが軍畑駅から青梅駅まで通して歩くと12km近くにもなり、距離は結構ある
正直な所、少し飽きてきた


 日向和田駅へ降りることの出来る峠に立派な看板があり


 ここから急に道が広くなる
軽トラなどが通れるようにしてある
後で知ったがここから東は永山公園と呼ばれる、一段と整備された山域らしい



 東屋があるので寄ってみる




 青梅の市街地が見下ろせる


 おもしろい書体


 物見櫓から宮ノ平駅へ降りようかな、とも思ったが
一駅だけの乗り換えで待つのも馬鹿らしいので最後まで歩くことにする
(立川からの電車は青梅駅が終点で、そこから奥多摩方面は乗り換えになる。宮ノ平駅は青梅駅から一駅目)


 永山公園内は市民の為によく整備されていて、こういう休憩所も短い間隔で建っている
小さな子供を連れた家族も歩いている


 ここは本当に青梅の街の裏山なのだな
こうしてみると青梅も結構な大都会だ


 仏舎利塔かな?と寄ってみると


 えー、何?


 太陽聖髪教団?



 金毘羅宮
ここの脇から下山できそうな道がある
特に標識はなにもないのだが、



地図を見るとココらへんが駅の北側にあたる
もとより鉄道公園まで行くつもりはなかったし、いいや、ここで降りてしまおう


 オベリスクめいた何かとテント群
お祭りの準備かなにかだろう


 山の斜面に立つ第一小学校の脇を抜けて降りていく
明らかにハイキングコースではない所を通っているようだが


 結局駅の東側数百mの踏切まで迂回することになった
駅に早く降りたいなら小曽木街道のあたりで降りたほうがいいのだな



 電車が東京まで直通の青梅特快だったので
このまま帰ってしまおうかとも思ったが、予定通り河辺で降りて梅の湯に入る
駅の北側のビルの中に日帰り温泉施設がある
通常ならばこういう街中の温泉施設は興味が無いのだが、色んな人の評判が悪くないので気になっていたのだ


 確かに悪くなかった
ビルの屋上の広めの露天で開放感はある
泉質や風呂の造りは先週入った祭の湯に近い


 ビールを飲み、担々つけ麺を食べてから帰る


 駅前からみる奥多摩方面
いい天気で良かった

青梅丘陵は道がよく標高差も小さい
長く歩きたいが体力に不安がある、という向きにはいいかもしれない
いつでもエスケープ出来る
高尾陣馬ほど混んでもいない


 --------------------------
さて、ここから反省会
帰宅後に守屋地図を確認してみる

 ご覧の通り
お墓の所から登る、私の歩いた道が「雷電山西尾根ルート」で正しかったのだ

では地形図にあった、廃屋のところから登るルートは?
そちらにもルートがあるなら、守屋地図でなにかしらの記述があるはずなのだ
本来の登山道に合流する直前、「うす~い踏み跡の三叉路」の所ですらこの通り記述がある
箱根の湯坂路でハマったように、”なぜだか知らないが地形図が間違っているケース”だろうか?
何十年か前にはそこに道があったのが、完全に消滅してしまって別の道が作られたのに地形図が更新されていない、という事なのだろうか

国土地理院の地形図というのは、登山用途としては最上級者向けで
もとより登山ルートなど当てにせず、地形を「読んで」自分で行けるかどうかを判断する為に用いるものでもある
地形図のルート表示を過信してはいけないのだろうか?
しかし四寸道で経験したように、昭文社の山と高原地図が細かい所がかなりアバウトな一方で、地形図のルートがかなり正確、という事もあり

うーん、分からん
私もまだまだ未熟


それにしても守屋地図のこのバッテンの多さはなんだろう?
あまりに道が多すぎて、守屋さんの調査をもってしても調べきれない、というのであれば、分岐の矢印だけ表記してその先は無印のはずなんだ
バッテンがつけてあるのははっきりと「通れない」という意味
だがこんなに低い里山で、そんなにたくさんの通行不可な場所があるとも思えず……

唐突に思い出した
そう言えばルート上にいくつも同じ看板があり、
「このハイキングコースは地主の協力を得て云々~~」
とか書いてあった
してみるとこのバッテンは地主がハイカーの立ち入りを拒んでいる、という意味ではないかな
矢倉台からまっすぐ南に、宮ノ平駅へ降りる道が地形図にはあったが、守屋地図ではバッテン、たぶんそうだろう
今度小仏峠で会うことがあれば聞いてみよう

0 件のコメント:

コメントを投稿